ジイシキカジョウ

無意識で自意識過剰になっていることが多い、というのを最近再確認した。周囲から期待されていると思い込んでいて、それに応えなきゃと考えつつも、思い通りにならんよ!っていう反発意識がある。これらの考え方って単なるナルシストなのだろうけど、そういうロジックというかプロセスを考えるのが好きなんだろう。

というのも、多角的に物事を考えるようにしてるからこそ、ある一つの捉え方なのはわかっているけど、放っておくとそれが固形化してきて定着してしまう。その考え方を自分の拘りと勘違いしてしまう。

いや、拘りを持つことは大切だし、それ自体は否定しないが、拘りっていう括りも曖昧だしこだわりだと言ってしまえば拘りになるし、頑固と言ってしまえば頑固という事になる。

捉え方次第

ここまで書いてて気づくんだけど、物事の捉え方次第で人の感じ方はまるで違うものになるという大前提を再認識しつつ、肝に銘じておくべきだ。

今の現状に満足しろというわけではない、しかし現状が不幸というわけではない。今こうして仕事終わりの帰り道にあるスタバに寄ってコーヒーをすすりながらブログを久々に更新しているこの時間はとても有意義だし、満足感がある。しかしこのこと自体が自分のやりたい事に繋がっているかと言えば、100%そうとも言えない。この行為をすることで、自分の気持ちが落ち着くという意味では目標としている独立を邪魔しているとも捉えられる。

立ち位置を確認する

自己満足は大事だ。自分の物事に自分で価値を見出すことは他人に振り回されることが減る。その上で、世の中から自分の立ち位置を見直す事でこれからやりたいことに対して自分がどうすればいいのかが分かってくる。

いや、分からんことの方が多い。しかし悩んでいても時間は過ぎていく。悩むくらいなら期限を決めて行動してしまう方が、悩んでいるよりも進める。

つまり、考えながら動くを続ける。考えていないことに恐怖を覚えよう、しかしその考えていることも的を得ていなければ意味をなさない。そういう意味でもまず目標をしっかりイメージし、より細かな想像をして創っていくことも常日頃頭の片隅に置いておく必要がある。

どれかだけしてればいい状態にするには、全てを俯瞰する意識も必要だろう。

ここまで頭で考えていることをただただ打ち込んでいるだけだが、それも今の自分にとってはとても楽しい。この感覚を一日の中でどれくらい増やせるか、そしてその行為でお金をつくり出せるならば、やる気も出る、かも知れない。もしくは更新しなきゃ~っていう重圧に押しつぶされることもあるかもしれない。

それすらも書いて書いて書いて言葉にしていしてしまうことが出来れば、それはとても強い武器になるだろう。

その為には、毎日、粛々と少しずつ繰り返していくしか方法はない。いや、あるかもしれないけど、それが見つかるまではこの方法をしていこう。

スタバのコーヒーは今日もおいしい。

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