自分を褒める

結論:「褒める」のではなく「認める」「認知する」

「出来なかった事に対して自分を褒める」って可能なんだろうか。

今の自分は予防線を張っている状態。独立しようとして出来なかったら怖いから、理由をつけて「挑戦したいけど、理由があってなかなか出来てない人」と見られたいのだと思う。

この根底が何処からきているのか、今やってる自己分析でわかるかわからんが、この予防線はいつも自然と知らぬ間にそこに出てきて、当然の顔をしてそこに居座る。こうなってしまうとモチベーションが上がらない。それでも無理やりらろうとすると頭の中で「やらされている感」が強くなり、余計に気が重くなる。

今まさに、この状態だ。やることがあるのに毎日出来ていない。

期限を決めてやるのが大事なのだが、自分にしか公言していないので困る人はいない。いつまでも期限が延ばせてしまう。しかし月末に近づくと出来ていない自分に焦ってくる。そして自己嫌悪。「ダメだな自分」と思いつつも、心のどこかで安心している。

2024年5月からフリーランスとしての行動する時間が増えているはずなのに、動けていない。もしくは動きが遅い。やることをやっていない焦り。こうして日記を書いている今もだ。何故だろう。何故やらないのだろう。

評価とは

自分の性格を考えたとき、他人からの評価を気にしすぎる傾向にあった。これは長男特有の「いい子に思われたい」というやつだろう。しかしその感情のままではいけないと思い、自分を変えようと思った。結論としては「他人の評価を気にしない」だ。こうすることで他人からの評価を気にせず、自分のやりたいこと考えを多少言いやすくなった。

しかし元来「評価を気にする」と言う部分は、社会的に起こりうる。仕事の評価、人間の評価などに結局評価は付き纏う。

自分で自分を評価すると人によって甘め厳しめと基準がバラバラで評価するため、評価に信ぴょう性がない。それでは評価する意味はない。つまり評価は出来ない。評価してはいけない。

評価してはいけないのであれば、どうやって「出来ない自分」を認めればいいのかという事になる。これはいくつかのやり方があるだろうけど、最近はこれが多い。

出来ない自分の認め方

  1. まず「できない」という
  2. そのできない弱い自分を認める
  3. 認めた上で「なら、どうしたら出来るか」を考える

弱い自分をに認めただけでは、何も変化できないので、改善策まで考えるのは必須。この改善策を実行してみてまたダメなら、更に考えて試してみる、を繰り返す。
弱い自分を認める事が全ての一歩になる。

結論:「褒める」のではなく「認める」「認知する」

SNSでもご購読できます。

PAGE TOP