一つ星の力を魅せつけられた、5周年のディナー。

こういう出会い、もっと欲する。
出歩こうっと。
一つ星の力を魅せつけられた、5周年のディナー。
こういう出会い、もっと欲する。
出歩こうっと。
結論:「褒める」のではなく「認める」「認知する」
「出来なかった事に対して自分を褒める」って可能なんだろうか。
今の自分は予防線を張っている状態。独立しようとして出来なかったら怖いから、理由をつけて「挑戦したいけど、理由があってなかなか出来てない人」と見られたいのだと思う。
この根底が何処からきているのか、今やってる自己分析でわかるかわからんが、この予防線はいつも自然と知らぬ間にそこに出てきて、当然の顔をしてそこに居座る。こうなってしまうとモチベーションが上がらない。それでも無理やりらろうとすると頭の中で「やらされている感」が強くなり、余計に気が重くなる。
今まさに、この状態だ。やることがあるのに毎日出来ていない。
期限を決めてやるのが大事なのだが、自分にしか公言していないので困る人はいない。いつまでも期限が延ばせてしまう。しかし月末に近づくと出来ていない自分に焦ってくる。そして自己嫌悪。「ダメだな自分」と思いつつも、心のどこかで安心している。
2024年5月からフリーランスとしての行動する時間が増えているはずなのに、動けていない。もしくは動きが遅い。やることをやっていない焦り。こうして日記を書いている今もだ。何故だろう。何故やらないのだろう。
自分の性格を考えたとき、他人からの評価を気にしすぎる傾向にあった。これは長男特有の「いい子に思われたい」というやつだろう。しかしその感情のままではいけないと思い、自分を変えようと思った。結論としては「他人の評価を気にしない」だ。こうすることで他人からの評価を気にせず、自分のやりたいこと考えを多少言いやすくなった。
しかし元来「評価を気にする」と言う部分は、社会的に起こりうる。仕事の評価、人間の評価などに結局評価は付き纏う。
自分で自分を評価すると人によって甘め厳しめと基準がバラバラで評価するため、評価に信ぴょう性がない。それでは評価する意味はない。つまり評価は出来ない。評価してはいけない。
評価してはいけないのであれば、どうやって「出来ない自分」を認めればいいのかという事になる。これはいくつかのやり方があるだろうけど、最近はこれが多い。
弱い自分をに認めただけでは、何も変化できないので、改善策まで考えるのは必須。この改善策を実行してみてまたダメなら、更に考えて試してみる、を繰り返す。
弱い自分を認める事が全ての一歩になる。
結論:「褒める」のではなく「認める」「認知する」
さっき気付いたこと。
疑っているつもりでも、実は底の方、遠くて見えない固定観念を疑えていない。
それは疑う余地もないという固定観念が邪魔をしているから。
例えば、「自分の満足」という点で、「健康を維持したい」があるが、
を一日やるだけで、そこそこ満足できる。
ただこの「そこそこ満足できる」で落ちつける、満足できているという思い込みがあるのかもしれないのに、そこを疑うことをしていない。
つまり自分の常識を疑えていない。
直近でも人の話を聞いてて感じた自分の感情、考え方が必ず正しいとは思ってなくても、そこそこ正しいはずという思い込みがある。
この思い込み、疑いの余地のない常識が果たして本当に疑いの余地がないのかを疑う必要がある。
これって自分で気づくの本当に難しいと思う。人から指摘されたら「まぁそういう考え方もあるよね、人それぞれだし」で済ましてしまいがちだからだ。
結構、危ういのかもしれない…。
本当はしたいことがあるのに、無意識にそのしたいことに蓋をして、無かったことにしていることはないだろうか?
その蓋を蓋と認識出来ていない場合、したいことが無いと同然になってしまう。
これに気付けてなかったら?
これに気付けているという、判断基準(自己認識)ってあるのかどうか。気付いているつもりが、いつのまにか気づけなくなってた場合、どうやって気付けばいいのか。
めちゃくちゃ怖い…解決策あるのだろうか
こちらの本に出会って丸9年。
大分お世話になっている。「自分を変える習慣力」
今も定期的に読み返すことで、その時に気付きえなかったことに気付くことがある。
あの時の自分がこの本を手に取った結果、今の自分がいる。
あの時の行動が今に繋がっている。
そして今の行動が、未来に繋がっている。必ずだ。
夢を叶えようとするその行動を楽しめれば、最高。
楽しめて続けられれば、結果は変わる。
毎日、少しずつ。
ご無沙汰しております。元気です。
年末年始、旅行先の鹿児島でインフルエンザを患い、高熱で寝込んでましたが、元気です。
インフルの熱が下がっても頭痛と倦怠感がまだ残ってる…。健康って大事だね。日々感謝。