触れられない目にみえない糸

「点ではなく線で考える」

物事を考える時、よくこういう表現を聞く。全ての事柄は個別のようで、実は繋がっているという例えだ。普段の生活の中でもこの言葉が世の中を動かしているのが殆どだ。

しかし、「線」というとどうも平面的に感じてしまう。どこか無機質で作業的な、機械的なイメージに捉えてしまうのは筆者だけかもしれないが、そう感じとれてしまうのだ。実際の世界は平面ではなく立体的。そういった意味でも線だと表現の限界があると感じる。ではどうするか。

「線」ではなく「糸」と考える

糸というのは有機物。勿論今じゃ機械で作られているものが殆どだろうけど、昔は蚕から紡いで糸を作ったという経緯もある。という意味で人為的なものだろう。また「線」よりも実体的で立体的だ。空間にも表現できると思う。「点ではなく、糸で考える」とし、更に付け加えるのであれば「触れられない目に見えない糸」としたい。そういった糸が時間を超え、今の世の中に張り巡らされて経済が動いているし、生命も繋がっている。

しかし、この糸は触れることも出来ない目に見えない糸なので、意識しないとすぐ忘れてしまう。とてもとても分かりにくい、なのにとても重要という自己主張のない糸。

今こうしてキーボードを打ち込んでいる今も、糸は伸び続けている。時に切れてるように感じることもあるかもしれないが、決して切れていない。それは目に見えないが故に切られることもないのだから。

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