2030年頃の自分へ

問いと共に生きる

──AIが当たり前になった世界を、2026年の僕はこう見ていた

この問いが生まれたわけ

ある日ふと、こんな疑問が浮かんだ。

2030年頃、AIが仕事や判断にどんどん介入していくのは便利だと思うけど、
その裏側にはどんなリスクがあるんだろう?

不安というほどでもない。
でも、胸の奥に少しだけ引っかかるものがあった。

便利になるほど、世の中はどう変化し
自分はどこに立つんだろう、という感覚。


AIが広がるほど、人は「考えなくてよくなる」

AIは、正解を出すのがとても上手い。

・文章
・企画
・判断
・デザイン
・分析

少し待てば、それっぽい答えが返ってくる。

最初は「助かる」と感じる。
でもそれが続くと、ある変化が起きる。

自分で考える時間が、静かに減っていく。

考えなくていいことと、
考えられなくなることは、似ているようで全然違う。


2030年に増えていくかもしれない人たち

もしAIが今の延長線で進化したら、
2030年ごろにはこんな人が増えるかもしれない。

・何をしたいか分からない
・どれを選べばいいか決められない
・正解がないと動けない

AIは答えを出してくれるけど、
“納得して決める感覚”はくれない


「正しさ」が強くなりすぎる社会

AIは、もっともらしい正解を出す。

だから社会は、

「AIがそう言っているなら正しい」
「AIの評価だから間違いない」
「AIが出したスコアで人を判断」

という空気に少しずつ寄っていく。

でも人の感覚は、そんなに整っていない。

・言葉にならない違和感
・はっきりしない迷い
・どちらとも言えない気持ち

そういうものが、
役に立たないものとして扱われやすくなる。


AI時代の怖さは、
失業でも崩壊でもなく、

「気づかないうちに、自分の役割がなくなる」

こと。

  • 昔は頼られていた
  • 昔は必要とされていた
  • でも今は、AIでいい

これが一番人を壊す。

だからこれから重要なのは、

何ができるか
ではなく
誰のそばにいるか

それでも残る、人の価値

AIがどれだけ進んでも、
ひとつだけ代替できないものがある。

それは、

「この人と話すと、頭と気持ちが少し整理される」

という感覚。

正解をくれる人ではなく、
一緒に考えられる人。

ちゃんと話を聞いてくれる人。

自分の言葉で返してくれる人。


2026年の僕が、2030年に残したいもの

もしこの文章を2030年の自分が読んでいたら、
「あの頃、こんなふうに考えていたんだな」と思うかもしれない。

でも同時に、

・考えの途中を残していたこと
・言葉にしきれない感覚を書いていたこと
・人との距離を大事にしていたこと

それらが、
これからの自分を支えているかもしれない。


終わりに

AIは便利になる。
仕事も、生活も、判断も。

でもその中で、

「自分で感じて、決めた」という感覚

だけは、どんなに時代が進んでも、
手放さなくていい。

2026年の僕は、それを少しだけ信じて、
この文章を書き終えるとしよう。

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