これって人それぞれで、答えも別々なんだろうけど、ここ最近の私の場合っていう話になる。
頭が冴える時間
ここ半年、生活環境が変化したためか頭が冴える時間帯に変化が出てきた。
前までなら頭が冴えてる時間は起床後すぐから正午、昼食とってからは激眠むで仮眠を取れば、午後もスッキリ。
晩御飯を食べて10時には眠くなる。これがここ20年くらいの生活パターンだ。
で、今はどうかというと、この時間、つまり24時過ぎから26時ごろが一番頭が冴えていることが多い。
寝ようと思って横になっても横になっても眠気が起こらない。
寧ろ目が冴えてしまって頭が活性化されてしまう感じだ。
多分起床時間は変わってなくとも、その後の二度寝三度寝出来る環境に体が慣れてしまったからだろう。
現在無職で午後から求職者支援訓練に通う毎日なので朝起きたら仕事に行くというルーティンがすっぽり抜け落ちてる。
なので午前中に睡眠時間が増えた分、就寝時間が遅くなってしまったのだろう。
今文章書いてて腑に落ちた。
もともと、夜という時間が好きだ。
そう、もともと、夜という時間が好きなのだ。
昼間とは違う、世界の見え方。
余計な物を見ずに済む、必要な光が必要なだけ見える夜景をただただぼーっと眺めるという浪費に、最高の贅沢を感じてしまう。
勉強する時間も大切だが、それと等価値で無心になる時間もとても大切だと思ってる。
人も少ないし、車も少ない。
特別感が手軽に感じられる。
物思いもふけやすく、そしてそれが最高に楽しい贅沢な時間だ。こんな時間がいつまでも続けばいいなとよく思う。
少年老い易く学成り難し
つまりはそう言うことで皆一緒なんだろう、人間は。
4000年も前から心理学は同じ摂理らしく、いつの時代も人は人との関わりに悩んでいる。
こんなにも科学が発展しているのにも拘らず、だ。
そこが人間らしさでもあり、愚かな部分でもあり、可愛らしさでもある。知らんけど
物は言いよう、つまり良いように言うと、良くなる。
そうするだけで世の中が良く感じる。世の中は良くならないかもしれないけど、世の中が良いものと感じられるようになる。
見方が変わる。そうすると世界が変わる。
シンプルに、単純に。
シンプルに。単純に観たい世界を観るんだ。
みようとすれば見れる。そんな世界だ。で
きる出来ないでは無い。やるんだ。やれるまでやるんだ。
時間はないが、死ぬまでやれば良いだけだ。
それだけだ。
簡単なんだよ。
あれ、そんなこんなでもう3時。そろそろ寝なきゃ明日に響く。
午前中になにかルーティンを作った方がいいな。ちょっと考えてみよう。
このblogを午前中に書く、とかでも良いかもしれないな。
やれる事をやってみよう。
おやすみ、世界。