コロナ後初出社

座って仕事している分には良いけど、立ち上がるとフラフラする。どこかまだ熱っぽい感覚が拭えなくて意識が朦朧としている。霞がかかる。

食欲もなく、どこか無気力。普段からぼーっとすることは好きだが、今はぼーっとしたくてしてる感じではない。あと明るいものに目が疲れやすく感じる。常に眠いけど気が張って安らがない。ぼーっとしているようで、霞がかかってる意識でハッキリしている。

仕事していると普段飲むものは水かコーヒー。お水に関しては一日1.5リットル飲めるように、500mlのタンブラーを持ち込んで、何回タンブラーをお替りしたかで一日の水分摂取量を計算している。

コーヒーはコンビニで売ってるジョージアやクラフトボスなどを飲んでいるが、今日あたりコーヒー飲んでもおいしく感じらなかった。逆においしかったのはアクエリアス。

運動しているわけじゃないからそんなビタミンとか欲してないかと思ってたけど、コロナでぶっ倒れてるときはビタミンをそこそこ消費してるだろうし、陰性となった今でも慢性的なビタミン不足になってる事に自分が気づいていないのかもしれない、と。

そんなわけでこれから会社でスポーツ飲料水を多めに摂取するつもり。現在の症状が少しでも緩和することに期待しつつ。

コロナの後遺症

発症して14日間が経ち、発熱や下痢、倦怠感、喉の痛みなどは回復してきたが、まだ残っているものがあるのでそれを挙げる。

頭痛

激痛ではないがコロナで40℃の発熱で寝込んでいた時にも感じていた鈍痛の頭痛、そしてその時の独特の血というか、鼻の奥に感じる血の匂い。血というには語弊があるかもしれないけど、血の混じった香り。これがいまだに残り続けている。

病み上がりのこの時期だからかもしれないけが、このまま後遺症として残ってしまうのではと考えると怖くなる。コロナにかかる前と後では体調への変化があると思っていたが、これがもちワクチンを接種していた場合、違う結果になっていたかもしれないと考えるとそれもまた焦りに感じる。

倦怠感

大した運動をしない(太陽礼拝などの簡単な運動)での頭の位置が著しく変わる体制をとると、途端に立ち眩みが起こる。これも病み上がりだからかもしれないが、それにしても立ち眩みが多いので心配になる。

ただやれることは普段と同じことをして、今アでとこれからでどの辺が違うのかを一つ一つ確認していき、対策をするという事だろう。

不安は多い。ただその不安を恐怖に変えて、対策していく。それを続けていくしかない。

今日も呼吸を大切に一日を生きていこう。

ここに標す

まだ漠然とした未来だけ思い浮かべている己。その漠然をしたイメージをより具体的に必然としたイメージにすり替える。現実に肌に感じているかの如く、イメージし、膨らませ、実現する。

環境を作り、その環境に自分を投じる。

今の環境も前職と比べればIT業界という意味で近しい世界にであるが、ではこの世界が自分の欲している世界かと言えばそう言い切れない。近いだけだ。その認識に相違はない。

どう近いのかを説明が出来るか。自分の言葉で説明してみろ。その説明が自分を作る。

語りたいように語れば語りたい自分になれる。この世は言ったもん勝ち。無言も必要だが、無言でいいわけでもない。

言いたいことがるならしゃべれ伝えろ。そして実現させろ。

幸せになる勇気。勇気づけ。

シアワセ

幸せとはどうしたら増えるものなのか、だれが知ってるのか。もしくは幸せとは上限があるのかないのか幸せとは人によって判断基準が違うが、それを測るための世間一般的な基準とはどこにあるのか。

そもそも幸せはあるのか、ないのか。その答えすら出ていないのに幸せを求めることは果たしてそれは幸せなのか。

幸せを求めないことが幸せになるかもしれない、そういう幸せも幸せの一つになるのではないか。

つまり幸せとは、幸せだと感じられた瞬間が幸せ、という事になるのではないか。

幸せを探すのではなく、幸せを感じられる感性を磨く。これが幸せになるために必要になってくるのでは。

そんな答えがない答えを考えるのが楽しい午前一時。

デザインの話

デザインとは必ずしも整っているものとは限らん。整ったものが出てくるとも限らん。つまり未完で出てくるものもある、デザインの元となるデザインとも呼べないナニカ。そういう物もあるはず。

今の時代ではデザインとは到底呼べないモノも、あと10年すればそれはデザインと呼ばれるものになるかもしれない。その為に今こうしてデザインの元となる可能性がある可能性の元をつらつらと書いている。

この文章がデザインの元、未来のデザイナーの元になる可能性だってある。

そう、全てこの世界は可能性から出来上がっているといっても過言ではない。という言葉遊び。嘘から出た誠。嘘を誠とする力。その力とは継続の力かもしれない。

誰かに奪われたっていい、この考え方だって誰かの借りものなのだから。

借りてるうえで、使っているので誰かに貸したって良い。それを貸してまたよいものを借りればいいだけの話。

借り物競争。競争してるわけではないけどね。

物事の考え方も借りもの。服も借りもの。身体は親からの授かりもの。

唯一自分のものと言えるものってなんだろう。と考えたとき、感性、感情、などという感じるものについては自分のものと言えるかもしれない。

その感情を表現する言葉等は借りものになるのかもしれないけど。

借りてるものって世の中沢山あるんだよね。

借り上手になろう。

なつかしむ

時には来た道を振り返るのも良い。そこには確かに自分が生きてきた時間がある。

いつだって全力。その再確認。

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