問いと共に生きる

問い疲れと冷めたコーヒー

冷めたコーヒー 問いと共に生きる
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最近、また「自分って何がしたいんだろう」って考えていた。
いや、正確に言えば――
「またかよ」って思いながら、うっすらモヤモヤしてた。

フリーランスになったのは、自由に楽しく働きたいから。でも、大きな夢があるわけでもない。

「こうなりたい」というより、「こうなりたくない」が先に立つ。

だから、目標を考えようとしても、なんだか無理してる気がして、気づけば「身の丈に合ったもの」に収めてしまう。結果、「これって本当にやりたいことだったっけ?」って、また迷う。
たぶんこのループ、何回もしてる。

思いついたことを、ノートに、スプレッドシートに、Discordに、ブログに、あちこちに書き散らしている。バラバラで、まとまらなくて。なんだか「何度も何度も同じこと書いてる」感じがする。

でも今日、ふと思った。

「答えがないのが、答えなんじゃね?」

たしかに、問い続けるのはしんどい。
「ずっと迷ってる自分」に腹も立つし、「これって俺だけ?」って思うこともある。
それでも考えてると途中からムカつくんだよな。
ちゃんと納得したいのに答えが出ずに疲れる。それでも一旦答えだすんだけど、後で見返すと納得感が薄れてる。
しんどい。これいつ終わんのよ。

そんなとき、「冷めたコーヒー」って言葉が出てきて、これがなんだかしっくりきた。


熱々だったものが時間とともに熱を失うが、コーヒーには変わりない。
冷めたコーヒーは冷めてないと飲めないし、それはそれでまぁまぁうまい。
たぶん問いって、それくらいの距離感がちょうどいいんだと思う。


また答えが出なくてイライラする日が来るかもしれないけど、そのたびに、冷めたコーヒーでも飲みに戻ってくればいい。
ここに戻ってこれるなら、それでいい気がしている。

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