便利な時代になった。
AIに聞けば答えが返ってくるし、迷ったら検索すれば何かしら見つかる。
でも、ふとした瞬間に思う。
「自分は何を大切にして生きているんだろう?」って。
この問いに、すぐに答えは出ない。
むしろ、ずっと答えが出ないままかもしれない。
それでも、問いを持ち続けることそのものが、自分で生きていくということなんじゃないかと、最近よく考える。
■ AIに問いを預けたとき、何が楽になって、何がなくなるのか?
AIはすごい。実際に僕も、この記事を書くのにも助けてもらっている。
構成を提案してくれるし、文章も整ってる。
だけど、全部AIに任せると、どこか“自分が書いた感じ”がしないんだ。
「これって本当に自分が考えたこと?理解してる?」
そんな疑問が、あとからジワジワ湧いてきた。
情報を得るのは簡単になった。
でも、自分の言葉で語るのは、逆に難しくなっている気がする。
■ 問いがあること、それ自体が「生きてる証」
僕は最近、「問いを持っている時間こそが、生きている感じがする」と思っている。
- どのように生きたいか?
- 何を大切にしたいのか?
- AIがどれだけ賢くなっても、人間は何を求めるのか?
こういう問いは、正解がない。
でも、問いがあると、自分と対話し続けられる。
たとえそれが「あやふや」でも、「答えられない」ことでも、それが人間らしさなんじゃないかと思う。
■ 一生解けない問いを、更新しながら持っていく
答えを出すことだけが目的なら、AIはもうずっと優秀かもしれない。
でも、僕ら人間には「迷う力」「揺らぐ力」「変わっていく力」がある。
だから、問いは“更新”していけばいいんだと思う。
今の自分が出す答えは仮のものでもいい。
でも、その都度向き合って、今の自分の軸を言葉にすることが大切。
🌱 まとめ:問いを持つことは、未来に立ち向かうこと
これからの時代、AIはどんどん人間を支えてくれる。
でも、「自分はどうありたいか?」という問いだけは、AIには答えられない。
問いを持つこと。問いと共に歩むこと。
それこそが、人間がAIと共存するための、最も人間らしい技術なのかもしれない。
💬 読者への問いかけ(Optional)
あなたは、どんな問いと一緒に生きていますか?