12/10 訃報

12/2 祖母が亡くなる。突然の訃報。

11/30 肺気腫という肺に水が溜まる症状で呼吸困難となり緊急搬送。搬送先の病院で一度は心肺停止になるも回復。肺の水が抜け、本人の意識が回復すれば安心という話だったようだが、12/1に容体が急変し、安楽死の方向に転換。就職支援訓練校に向かうため電車に乗っていたが、一連の話で「長くて3日」という言葉を目にして、そのまま地元の病院へと向かう。

病院に到着したのは16時過ぎ。本来なら面会時間は過ぎていたのだが、内容を話して会わせてもらうことができた。

ICUの部屋で祖母はスヤスヤと寝ていた。体のあちこちに管が繋がれ、口元には酸素マスクがついてたが、しっかりと呼吸をしているのは分かった。寝ている祖母の額におそるおそる手を当てると暖かくて安心した。時の流れを表す細い腕の先にある指先に触れても柔らかい。本当に眠ってるだけのようにしか感じられなかった。なんなら呼びかけ続ければ意識が戻るんじゃないかと思ってしまうほど。

最期に会ったのはいつだろう。確かお彼岸の時に挨拶行ったのがそれにあたるだろう。腰も曲がり、起き上がって歩くのも困難だろう祖母は寝室から離れ、お線香をあげるためにお邪魔していた仏壇の部屋にまで来ようとしてくれる優しい祖母だった。

毎年お盆の時期に会うと、「おばあちゃんはもう駄目だ」と口癖のように祖母は自分の事をいつも話していた。その当時はまだ80代ながらも元気だったからそんなことないよ~という会話の流れが定番だった。いつからか祖母の耳が遠くなり人と話すのが困難になってきてからは、うんと言葉数が減った。それでもいつも笑顔で優しい祖母だった。

仕事を辞め日本一周してきた時の撮りためた動画や写真はそのうち祖母に見せようと思っていたが、それも叶わなくなってしまった。時間がなかったわけではない。去年の今頃には旅は終えて帰ってきていたのだから。1年の時間があったはずなので自分は行動に移せていなかった。

「まだ大丈夫。そのうちそのうち。」

こんな考えが頭の片隅にあったのは間違いない。まだ大丈夫なんて誰が言った?完全なる自己都合の思い込みだった。

こんな話をしても祖母はきっと怒らないだろうし、きっと許してくれる。

その優しさが、胸に突き刺さる。

ごめんね、ばあちゃん。ダメな一番孫で。

今度会うその時まで、しっかりと生きるよ。その時にまたいろいろ話をさせてね。

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