余白を

今こうしてこの環境になってあることに、5年前の自分は想定できただろうか。予測していだだろうか

いや、できていないだろう。でも現にこうしてこの環境になっている。これはどうして起こったのだろうか?何を変えたらこうなったのか。それを紐解いていく。

5年ほど前の自分は、今の環境に嫌気がさして、でもそこから、ぬるま湯から抜け出そうとしない、現状に甘えていた。

そういう自分を認めたくなくて。自己嫌悪に陥り、周りに責任を押し付け、自分が被害者面をしていた。

そうして耐えいている自分は偉い、誰にもできないことをやっているというプライドを再認識して自己陶酔して、満足する。そしてそのうちまた現状を変えられない自分に自己嫌悪して…を繰り返す。


これすらも3年ぐらいやっていたと思う。1年に1〜2回のスパン。いい意味で辛抱強い、悪くいえば腰が重い、必要以上に不安を怖がっていて、恐れている。また、他人からの期待にも応えたい、いい子でいたいというのもあるだろう。

そんな自分がどうして変わったのかと考えたとき、、、言葉にすると少し限定的になってしまうかもしれないが、その一つに「余白」があったように思える。

余白。

気持ちの余白、行動の余白、考えの余白、感情の余白、計画の余白、判断の余白、時間の余白。固定観念の余白。

少しゆるく、遊びを持たせる感じ。そしてその緩いまま、緩く行動する。行動しやすいようにゆるくする。

行動し続けるゆるさを許した感じ。

水面に小石を投げ入れる時にできる、小さな波紋。この透析を続けていくことによって、波紋が幾重にも重なり、大きなうねりになっていく。そんなイメージ。

この小さな波紋の結果が、今になっている。

自分を変えるための、波紋を作り出すための行動を、ただただ行う。

行きたい未来を向いている自分に変える。

完璧にこなすのは楽しい。達成できた時の満足感も気持ちいい。俺ってすごいって自己陶酔もできる。

それゆえに、なんでもそうしたくなるし、そうしなきゃ納得できない、満足できなくなってくる。完璧にやること自体が目的にすり替わっていく。つまり、自己満足、自己陶酔するための利己的な行動。

しかも、端から見るとしっかりと働いているように見えるから、誰からも何かを言われることも少ない。そうこうしているとさらに自分がこれを選んでいるという責任感も出てくる。

結局、自分のやりたいこととは違うことをやっている事実に気づきけず、だれからも指摘もされず、ただ労働力として自分の人生の時間をお金に変えて、そのお金を消費するたけの生活になる。

これ自体悪いことじゃないからなお悪い。気づきにくい。

自分で気づくためには、どうしたらいいのか。それは・・・

「紙にでも書いて、目につくところに置いておく。」

これが一番効果的。

では、なんと書けばいいのか。それは・・・

「余白を」

なぜこの言葉なのか。結局時間がないと、考えることも気づくこともできない。何もしない時間を作ること、内省する時間を作ること、自分と向き合う時間を作ること。

そのためにも余白の時間が必要。

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