幸せとはどうしたら増えるものなのか、だれが知ってるのか。もしくは幸せとは上限があるのかないのか幸せとは人によって判断基準が違うが、それを測るための世間一般的な基準とはどこにあるのか。
そもそも幸せはあるのか、ないのか。その答えすら出ていないのに幸せを求めることは果たしてそれは幸せなのか。
幸せを求めないことが幸せになるかもしれない、そういう幸せも幸せの一つになるのではないか。
つまり幸せとは、幸せだと感じられた瞬間が幸せ、という事になるのではないか。
幸せを探すのではなく、幸せを感じられる感性を磨く。これが幸せになるために必要になってくるのでは。
そんな答えがない答えを考えるのが楽しい午前一時。
デザインの話
デザインとは必ずしも整っているものとは限らん。整ったものが出てくるとも限らん。つまり未完で出てくるものもある、デザインの元となるデザインとも呼べないナニカ。そういう物もあるはず。
今の時代ではデザインとは到底呼べないモノも、あと10年すればそれはデザインと呼ばれるものになるかもしれない。その為に今こうしてデザインの元となる可能性がある可能性の元をつらつらと書いている。
この文章がデザインの元、未来のデザイナーの元になる可能性だってある。
そう、全てこの世界は可能性から出来上がっているといっても過言ではない。という言葉遊び。嘘から出た誠。嘘を誠とする力。その力とは継続の力かもしれない。
誰かに奪われたっていい、この考え方だって誰かの借りものなのだから。
借りてるうえで、使っているので誰かに貸したって良い。それを貸してまたよいものを借りればいいだけの話。
借り物競争。競争してるわけではないけどね。
物事の考え方も借りもの。服も借りもの。身体は親からの授かりもの。
唯一自分のものと言えるものってなんだろう。と考えたとき、感性、感情、などという感じるものについては自分のものと言えるかもしれない。
その感情を表現する言葉等は借りものになるのかもしれないけど。
借りてるものって世の中沢山あるんだよね。
借り上手になろう。